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​代表者紹介

​あき水産の熊原拓朗です。

私は小学校の時から釣りが大好きで、大人になり船釣りに興味を持ちました。

初めて船を持ったのが6年前で船釣りばかりしていましたが、漁業組合員となったのが4年前。一本釣りから始め、それから延縄、たこつぼ漁、刺し網漁さわら漁をしてきました。

​日新製鋼に努めておりましたが、閉鎖が決定した事で一念発起し、大好きな魚と関われる仕事をしたいと考えて開店する決意を固めました。

​休日は船の整備や漁をし、多忙な日々でした。持前の体力で腕前を磨いていき、皆様に喜ばれるサービスができるよう努力していきますのでよろしくお願いします。

​店舗オープンの経緯

呉は海に面し、その豊かな海で新鮮な四季折々旬な魚が捕れるのに、
スーパーに行くと外地区からの魚が多い。
折角海の街に住んでいるのに残念に思い、漁協も市場も高齢化が目立つ中、
魚類関係がもっと盛り上がれば良いと思いました。
正月や盆、祭、冠婚葬祭、人が集まる所には刺身があった。
また、幼い頃、祖母がつくった大皿に盛られた豪華な刺身をみてワクワクし祖母を尊敬した。
今スーパーのプラスチックの皿の盛られた刺身を見て淋しい気持ちになる。
ウナギのたれなども手造りで既製品に無い美味しさがあった。
もう一度おばあちゃんの味を食べたい!昔ながらの手づくりの味、
祖母の作っていた様な刺身盛りがしたいそう思うようになった。
3年前に他界する前に『魚屋するけん!』と伝えていたのでようやくその約束が果たせる。
そういう思いから鮮魚店を開業したいと考えるようになった。

あき水産の由来

亡き祖母は広本鮮魚店としてアガプラザ(阿賀地区)で長年鮮魚店も経営していた。地域住民に愛されていて、その遺志を継ぎ再起させたい、呉の豊かな海で採れた新鮮な魚を地元の方に食してもらいたい、お客様との対面販売で人と人のつながりのある昭和のよき時代の鮮魚店を営業したい。広本鮮魚店の祖母と共同経営していた祖母の弟を師匠として習わせてもらい、これから腕を磨きます。

広本鮮魚店はアガプラザに入る前は阿賀の商店街(通称:マーケット)で長年営業しており、戦後より営業しておりました。(休み山トンネル建設で立ち退きになりました)。当時は切符制というもので親戚中から切符を集めて営業ができたそうです。創業者は輝一さん。その輝が屋号となっています。

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